ごあいさつ

院長 山口芳照初めまして こんにちは!
わたしが「歯周構造の専門家」の山口芳照です。

私たちの想いがたくさん詰まったウェブサイトに来ていただいて本当にありがとうございます。

 

 

このサイトはあなた様がインプラントのトラブルを回避して、この素晴らしい医療技術でアンチエイジングを獲得し、幸せな健康生活を送って頂きたいとの想いから作らせていただきました。少しでも参考になれば幸甚と存じます。

 

デジタルの世界なのに不思議ですね、画面を通してあなたが本当にすぐ目の前にいるような気がします。体温やあなたの息使いを感じることができます。

 

こんな隅ずみのところまで読んでいただいているので、あなた様の熱心さに頭が下がります。

ここからは、すこし決まりが悪いですが私の人物紹介をさせていただきます。

私は40才も後半になったAB型で、動物占いでは「根っから明るいオオカミ」です。頭頂部の毛が薄くなってきたことに最近がっかりしていますが、体力は鍛えておりますので自信があります。

当院に来院されるお子様たちが似顔絵を描いて頂けるのですが、毛がたくさん書いてあると嬉しくなります。 

 

浜松市中区佐藤町2丁目本当にこの歯科医院のあるこの場所が私の地元出身地です。 当時、親族の中には内科や外科の医師や歯科医が4〜5人いました。 私の父親も歯科医でした。父親は私の今と同じ年の時にあっさり亡くなりました。

当時は不治の病だった胃ガンを患っていました。 多くの患者さんを抱え、疲れていたんだろうと思います。

現代よりも、性能の低い機械や、効きのの悪い麻酔薬を使った治療はきっとストレスが溜まったことでしょう。
ボロボロになった歯科医院を見て、「なんとかせんといかん!」という思いで歯医者の「のれん」を守ることを決心したのです。

でも本当は子どもの時はパイロットになりたかったのです。 

しかし、今は頑張れば、海外の学会に飛行機に乗っていけるので、とても満足しています。

民間や空自のパイロットやCAや地上職の方がたくさん来てくれるのでとっても嬉しいです。 

 

当時、最後は決断し、覚悟を決め、地元の浜松北高校から東京歯科大学に進みました。そして8年間だけは千葉県の市川市から千葉市にかけての東京湾沿岸地帯に住まいを構えました。

千葉にあるのになんで東京歯科大学なんでしょうか?行ってみて驚きました。

夢の東京生活はもろくも崩れ去りました。 

千葉はすごかったです。

千葉市に住んでいるときは静岡県との県民性のあまりの違いに驚くことの連続でした。
時代はバブル景気まっただ中、世の中は浮かれ、治安も非常に悪かったです。バイクや自転車をアパートの前に置いておこうものなら一晩で盗まれてしまいます。車上荒らしは頻発し、ある日バイクの鍵穴を堂々と壊している2人組を目撃したときには、非常にショックを受けました。
渋滞だらけの道路ではベルやクラクションで相手を威嚇しまくる・・・。
殺人的な満員電車。あまりのトラブルの多さに駅前の交番のおまわりさんは殺気立っていました。

言葉も違います。

成田や佐倉の方面に行くと「だっぴゃー!」と語尾につけるのです。

そのインパクトに驚きました。

 

 

「浜松はなんて暮らしやすい街なんだ!知らなかった!」

 

浜松人なら多くの人が口をそろえておっしゃることです。故郷の温かさ住みやすさを実感しました。

学生生活では運動部のアイスホッケー部に所属し、またハトのマークの引っ越し専門という運送会社で引っ越しや宅配のアルバイトをしました。

運送会社ではたくさん社会勉強をさせていただきました。配達の仕事ではいろんな土地に行けたのが楽しかったです。

 

それ以外の時間はとにかく歯科医学を学びました。

 

しかし、所詮、大学は過去の治療方法の歴史を教えてくれるのに過ぎませんでした。
最新の医学や治療技術は学ばせてくれません。


「これが日本で最も権威ある歯科大学の講義なのか?」

「こんなやり方で歯周病が治るのか?」

「こんな入れ歯で噛めるのか?」

疑問が次々に湧いてきました。


せっかく千葉まで来たのにがっかりしました。6年は長かった!

日本の医系大学制度における教養の2年間は全く意味がないと思います。

こんな事をしているより、米国のように、語学や一般教養は他の学校で学び、その成績を基にメディカル系スクールに入り直す方がよっぽど理にかなっているのではないでしょうか?

歯科大学病院で研修していた時のことです。

保存歯科の3年目の女の先生が、訳のわから歯周病治療をしていて、それを質問すると

「私はプロだから!」などと言っているのを聞いて「こりゃダメだ。」と感じました。

 


大学を卒業するときにはたくさんの医局や講座から勧誘を頂きましたが、早く現実の世界を見たかったので全部ご丁重にお断りしました。 今思えば大学に残らなくて良かったです。

 

母校が衰退していくのを見るのは悲しいことです。千葉移転が大きな要因の一つでしょう。

来年には東京都心に移転回帰するとのことです。

世界に通用するような日本を代表する歯科大学へと発展してもらいたいと切に願っています。

 

卒後の修行は東京都港区芝の高層ビルの中の診療所です。

JR田町駅三田口に隣接していました。

田町駅三田口には交通量の多い第一京浜(国道15号)が通っており、さらに日比谷通りとの交差点にも隣接しているなど交通の便がいいことから、森永製菓や三菱自動車日本電気中央三井信託銀行など幾つかの大企業の本社や外資系企業のオフィス、官公施設が点在しており、高層・超高層のビルが多い街でした。

とりわけ、日本電気は本社がある「NECスーパータワー」だけでなく、田町駅周辺のビルに数多く分散して入居していました。当時は60近い関連会社がありました。

三田口の周辺には、慶應義塾大学戸板女子短期大学普連土学園中学校・高等学校を始めとして教育施設も多いため、学生街の様相も呈しており、飲食店など商業施設もたくさんありました。そのためか、都市銀行の大部分の支店は三田口側にありました。

ボツワナハンガリーイタリアなどの国の大使館もありました。

 


そんなところで2年間歯科医の仕事をしていました。

近所の周りのビルの歯医者から何らかの不満を持って、転医してくる方がとっても多かったです。
それらの治療跡を見ると、雑ででたらめな手抜き診療が堂々と行われていました。
 

「日本経済を支えているはずの、この電機大手メーカーの会社員たちがこんなひどい治療しか受けられないのか・・・!」
驚いて愕然としました。

「日本の歯科業界はなんかおかしい・・・。」   強くこころに刻みました。

 

 

 

当時の院長先生にはいろいろ教えていただきました。

今でも当時の教えを思い出し、感謝しております。 ありがとうございました。

 

 

東京での研修後はたくさんの学会に入会し、研修会に参加し、多くの著名な医院を見学しました。 北海道から沖縄そして韓国や北米、欧州の学会もいきました。

 

中野区の歯科医院にお邪魔している時のことです。

何か気に障ることでもあったのでしょう。
「どこを見ているんだ!帰れ!」と怒らられ、見学している歯科医院から叩き出されたこともありました。

 

平成5年には田舎の浜松に帰り、家業を継承しました。何とか家業を盛り返そうとがんばりはじめました。このころ来てくれたクライアント様のことはよく覚えています。皆さん本当にありがとう。

3代4代、足かけ50年に渡って、当院に来院される会員様もいらっしゃいます。

この方たちにご恩返しがしたい。その気持ちで一杯です。

 

苦しいから、患者さんが来ないからとここから移転するつもりはさらさらありません。

私たちを信じている会員様が一人でもいる限り、この場所から逃げずに、御世話させて頂きたいと思っております。

 

 

さて開業後、一段落してホッとしたのか、草野球や海外旅行などに浮ついていた時期もありました。

歯科医院を開業することだけが目的で、そこからが本当のスタートだと言うことを忘れていたのです。

 

しかしある日、私の頭にドッカーンと、打ちつける出来事が
あったのです。

 

とある若いパパとママ、そして幼稚園の愛くるしいお嬢さんから、当院に予約が入っていたのです。
お越しになった事情をよく聞いてみると

 

「海外転勤で香港駐在になりました。
こんなに上手な歯医者さんは初めてでした。
今日で最後の定期検診なのでご挨拶にきました。
今までお世話になりました。」

 

なんとこのご家族は感謝の気持ちを言いに、わざわざお金を払って言いにきてくれたのです。
かわいい娘さんも嬉しそうにニコニコしながらパパとママと手をつないで医院を後に帰っていきました。
 

いつまでも振り返ってバイバイと手を振ってくれるのです。

 

とっても寂しい気持ちもありましたが、自分の良心の疑問が浮かびました。

 

 「あのファミリーに果たして私は命をかけて、100%の全力で取り組んでいたのか?!」


そして、歯科医学に対する自分の半端な気持ちがとても恥ずかしく嫌になりました。

 

このことが私に、「この歯科仕事を一生、全身全霊をかけてやり遂げたい!!」と、決断させる出来事でした。


この日から私は、もっとたくさんの人に満足してもらう為、心を入れ替え、さらに激しい武者修行に励みました。

もう「小さいこと」は気にならなくなりました。


 

私が診察を担当するのは一日40名以上、診療が終わるといつもくたびれてグッタリとなります。

しかしその中で、どんな方が来ても納得させることのできる知識、最高の技術、人から信頼される心の余裕を獲得するには、他人よりもさらに多くの経験と知識を積み重ねなければいけません、毎日、早朝から夜までの診療と夜中には明日の準備と写真整理とプレゼンソフト作成の繰り返しです。

 

その合間をぬっての学会発表や講演会でのプレゼンテーションをこなさなければなりません。研修先からの課題もこなさなければなりません。

厳しい師匠やインストラクターからの指導やプレッシャーに負けそうになり、何度も「つらいな・・・。面倒くさいな・・。投げ出そうか?」と思いました。

 

しかしその度に、「あの時の3人の親子の笑顔」が自分の心を励ましてくれました。

 

そしてついに「歯科インプラント」「歯並びきょうせい」そして
「審美歯科」、この3つの技術を学び、多くの実績と経験を積むこともできました。

 本当にたくさんの方に喜んで頂けるようになりました。

 

ここまでの道のりも平坦ではありませんでしたが、今では私の想いを分かち合ってくれる、家族以上に大切なスタッフに囲まれ、来院者様にも、「ここに来ると、ほっとする」「アットホームでまるで実家に帰って来た時のような気持ちになる」「もっと早くここにこれば良かった」とまで言ってもらえる医院になりました。

 

私もスタッフもこの20年間の間にはつらかった事や楽しい事が沢山ありました。
その度に、クライアントさまの幸せそうな笑顔や、「何でも食べれるよ!」「調子いいよ!」の一言を思い出し、勇気付けられ、また明日から頑張るぞ!とプラス発想的な考えになれました。


皆様への恩返しをするつもりで、今度はあなたが幸せになる為の最高の笑顔を歯科医学によってつくり上げ、それを提供するのが私の生き甲斐であり情熱です。
どうぞ、人工歯根のことなら私どもにお任せください。

 

 

あなたの夢を叶えるインプラントマイスター  
山口芳照

山口芳照


追伸

合わない入れ歯、見た目の悪い入れ歯

でお悩みの方はいらっしゃいませんか?


あなたを守るIMPLANTの技術があります。
人工歯根の専門家が親切・丁寧に応援します。

 


●相談だけでもしてみたい。

●何回入れ歯を作っても、噛めない。

●入れ歯をやめたい。気持ち悪い。

●おいしく食事がしたい。

●若々しい笑顔になりたい。

●どこの歯医者で治療をしたらいいのかわからない。

●自分にもこれができるのか知りたい。

●過去の歯科医院では不本意な体験をした。  

 


入れ歯で苦しんでいる方を人工歯根で救い出し、喜んでいただけるのが、私の何よりの生きがいです。

お一人で悩まずにまずはお電話かメールをお気軽にどうぞ。

 

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